あの空がとてもキレイだったから

どうも!もぎこです。


昨日話を聞いて感化されたその感覚のままただただ文章を書き殴ってます。


電車内で目の前の男性が缶ビール片手に座っているのをしげしげと眺めています。
ワイシャツにスーツパンツ、通勤カバンを抱えているけれども、この人は今日会社へ行くのだろうか?
ああ、昨日は缶チューハイ1缶でベロベロに酔っ払ってしまって、でも珍しく感性の部分までは酔いが回らずにただただ集中して興味深い話だなあと聞き入っていた。
そんな思考もダダ漏れです。


さて、本題にすぐ移ります。
昨日聞いた話はこうだ。


芸術的なモノを生み出す人というのは、どこか、普通の人には無い感性を持っている。
それは過去の体験からそこそこ深い心のキズを持っているとか、何かが大きく欠落しているのだ。


たとえば、親からの暴力、いじめ、生肉しか体が受け付けないとか。
このネタ分かる人っているのかな?

画像貼ろうと思ったらそこそこ過激だなあと思ったので自粛。

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たぶんそこにあるのはポッカリ開いた穴のような、不足している愛情とか、絆とか、感覚とか抽象的な何かが欠けている。

その開いた穴を埋める代わりに、芸術的なモノがそこにスッポリとはまっていくんじゃないかな。


それでバランスを取っているというか、なんというか。

ジェンガの、あと一本抜けてしまったら崩れてしまいそうな危うい感じで。


芸術的なモノとは?を有名どころから挙げていくと、ゴッホとかピカソとか(らしい、私は作品の良さも生涯についてもそんなに知らないんだ。好きな人がそれは調べればいいと思う)。
まあ、絵画や音楽、書画、服、写真、ポエム、最近だと ブログ もこれに分類してもいいと思う。


じゃあこんな分野で天性の才能を発揮していってその才能は枯渇することはあるのか?
私の今のところの答えは、たぶん枯渇することは無いんじゃないかなあと思います。


だって心のキズって癒されることはあっても過去は無くならないじゃないですか。
過去の捉え方や意味合いは変えられても、事実、そこに起きた事象自体はなにも変わらないじゃないですか。


そうすると常に心にキズは残ったままなので、それをずっと埋めようとする。
埋めようとするから、天性の才能は穴を埋めるために発揮され続けていく。


仮にそんな方程式で才能が世の中に成立するのならば、天才に生まれることが幸せなのか、凡人に生まれることが幸せなのかなんだか私にはよくわからないなあ。


そんなことを思った今朝。いま。


そう考えたら西野亮廣という天才はきっと傷だらけの欠陥品なのかもしれない。