あなたに隣にいてほしい

どうも!もぎこです。

 

日常生活を送るなかでついつい
「あ、あそこのアレ取ってよ。アレ。」
『え?アレってなによ? どれ?』
のような、あれこれそれどれの言葉を使って会話をしてしまうことってありますよね。
そういう言葉遣いが生まれることをあれこれ症候群なんて呼ぶそうです。
http://www.niigatakouseiren.jp/kariwa/763/


これってよく会話をしている間柄の人とは自然と発生し得ることなんですけど、こういう会話を続けていると、物忘れがひどくなっていくとも言われています。

 

今日はそんな物忘れ「認知症」について書いてみようと思います。

 

認知症

昨日7か月ぶりに実家に帰っていたんですけど、どれ、しばらく両親に会ってないし顔を見せようかなと気軽な感じで帰ったんですね。
そのなかで会話は、先々月にひ孫(私には姉がいて、その子供です)を見せに行った祖母の話になりました。

 

祖母はいま80歳くらいかな。
女性の平均年齢が、2017年度までのデータ「平成29年簡易生命表」だと87歳(男性は81歳)なのでもう良い年齢です。

戦後に幼少期を過ごしていたからか、当時不足していて飢えていたであろう甘いものがとても好きで、私が物心ついた頃には既に糖尿病でした。


私が小さい頃は年1回は祖父母の家を訪れ「かなちゃん、お菓子あるよ。」とあれもこれもと食べさせてもらっていて、なかでも、祖母のお手製の「くるみゆべし」がとても好きでした。

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知ってます? くるみゆべし。
見た目は茶色かもしれませんが、くるみがじんわりと甘い、くるみのお餅です。

 

祖父は趣味で自分たちが食べる分だけですけど畑をやっていて、車で畑まで連れていってもらって、熊の大きな足跡を見せてもらったりもしました。

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祖父が畑の作業中、機械に足を挟まれてケガで入院してからはもうすっかりやめてしまったけれども、昔は祖父母が育てたリンゴや梨、お米と加工したよもぎ餅が送らさってきてました。
※「送らさって」=送られての方言です。
ずっと東京育ちの私が唯一知っている方言なので、忘れたくないし、ずっと使い続けていきたい言葉だと思ってます。

 

祖母は手先が器用で、編み物やビーズでアクセサリーを作っていて、一緒に作らせてもらったものは今でも残っています。
祖母と遊んでいると父がやってきて、〇〇の親戚のところに挨拶に行くと言うのだけれども「いやだ。おばあちゃんと一緒にいたい」と駄々をこねて「かなちゃん、ちゃんとお父さんといっておいで」と祖母を困らせては祖母に説得されていました(笑)
わたし、おばあちゃん子なんです。

 

話を戻して、実家で祖母の話になったときのことをそろそろ。

 

父「ばあちゃんな、あの…記憶のほうがそろそろ、な」
も「認知症?」
父「こないだ田舎に帰ったときのことなんだけど、財布を持ったかどうかすぐに忘れてしまうから、持っておいてほしいって頼まれたんだ。
  そしたらしばらく経つと『今日財布忘れてきてしまった。どうしよう。』と言い始めて。。。
  持っていると伝えて話が終わっても、しばらく経つとまた、同じことの繰り返しなんだ。
 
  でも、じいちゃんの返し方がすごく上手くてな。

  テレビで相撲の白鳳が出てくると
祖母:この人、結婚はしないのかなあ
祖父:お前知らなかったのか? 白鳳はきれいな奥さんとこないだ結婚したんだよー。

  って返しててな。
  それでもまた時間が経つと同じ会話を繰り返す。
  またじいちゃんは同じように、返す。」

 

一緒に暮らしている息子夫婦は少し精神的にしんどいと、言葉を漏らしていると聞きました。
普通に暮らしていた祖母の姿を知っているから、過去と現在とにギャップを感じてしまうのは至極当然のことだと思います。

 

でも祖父は、祖母が忘れてしまったと気づいて自尊心を失うことのないように、今日初めて知ったのだから知らなくて当たり前という風に過ごします。

 

……………

 

…すみません。
話を聞いた昨日は大丈夫だったんですけど、目に見える言葉にすると、祖父母を知っている分こみ上げてくるものがありまして。

 

いつもはぶっきらぼうで、短気で、かまってちゃんで、無口で、大きな音であくびとくしゃみをする祖父が、祖母を想う気持ちを知って、祖母は素敵な人と結ばれたのだなあと思いました。

 

そんな祖母が認知症になることになった原因も、私は知っています。

 

もともとそんな料理が得意ではない祖母

息子夫婦と一緒に暮らすようになって、お嫁さんがご飯を作るようになると「祖母の作る料理はそんなにおいしくない」と言われたんだそうです。

そこからは私が作るよりもお嫁さんがと、自分ではだんだんと料理をしなくなり、次第にあれもこれも…昔は自分でやっていたことを全てお嫁さんにやってもらうようになりました。

 

認知症というのは自分の頭で考えて動かなくなると、脳の機能が使われなくなるので次第に脳が衰えていき記憶力が低下していくのだと、保険の仕事をする上で保険会社の方に教えてもらいました。

だから祖母が認知症になっていったのは思えば、当然の結末だったのかもしれません。

その祖母の話を聞いた当時から、私にもっと知識があれば、そばにいたなら、もしかするとこの未来はもう少しだけ後に遅らせることができたのかもしれません

 祖母が料理が得意ではないことは知っているけど、私は祖母が作るふわふわのにらたまの味噌汁や、少し隠し味に塩を入れる甘い卵焼きが好きです。

これだけは祖母から母へ、母から私たち姉妹に伝わっているとっておきのレシピです。


祖母は、きっとこれからも緩やかに、周りの人や物事を忘れていきます。
もう、祖母は、ひ孫が二人もいることを覚えていません。
父が田舎に帰った翌月には「しばらく、あんたと会ってないなあ。」と会ったことを忘れていました。
いつか、あんなに可愛がってくれた私のことも、父のことも、祖父のことも忘れてしまう日が来ます。

 

祖母がこうなる前に、姉のように花嫁姿を見せてあげることはできなくて、ごめんなさい。
祖母がこうなる前に、ひ孫の顔を見せてあげられなくて、ごめんなさい。

 

いつかそういう未来が来ることは、保険の仕事をしていく中で他人事じゃないことは知っていました。
知っていたつもりになっていただけかもしれません。
保険で認知の症状を無くすことはできなくても、費用面の負担を減らすことはできます。
でもなにより、資金とともに、家族同士の向き合い方もすごく重要だなと。

 

祖父も、祖母がすべての記憶を忘れてしまう日が、そう遠くない未来に起きるであろうことはわかっているんでしょう。
でも、これが二人が築き上げてきた愛のカタチなんだと感じて、こういう歳の取り方をしていけたらいいなと思います。

 

私は、私がいつかこんなに大切だと思える人ができたときに、祖父のような向き合い方ができるだろうか。

元気だったときを知っている好きな人が、自分が好きだったときと変わっていく姿に付いていけるだろうか。

まるで自分が知っていた祖母とは違う人間のようになっていく祖母を、私なら変わらず一緒に過ごせるんだろうか。

 

なかなか、祖父のように過ごすことは簡単ではなくて、これが二人が築き上げてきた全てなんだと思う。

 

それでも、あなたに隣にいてほしい。

 

 

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