ブサイクはなにゆえにそこに留まりブサイクであり続けるのか
日々が目まぐるしくない方は、たぶん読まない方が良いかと思われます。
どうも!もぎこです。
今回は一筆書きではなくて、浮かんだ言葉を文章の真ん中やら上やら下やら文章の間やらに、ツギハギみたいに重ねて連ねてみています。
ジグソーパズルのピースを1つ1つ嵌めていくみたいで、これはこれで楽しい。
ジグソーパズルは苦手だけど、嵌まるピースを見つけた時のワクワク感が好き。
ゆっくり思考できるものが好みなので、制限時間がなく、じっくりのめり込めるパズルはたぶん性に合っているんだと思う。
あと、神経衰弱は苦手。全然カードの種類も位置も覚えられないし、負けるからだんだんゲーム自体がどうでも良くなってしまう。
神経衰弱といえば、思いついたことをそのまま小ネタとして。
人の脳には、
・一夜漬けでテスト勉強をするときみたいな短い期間だけ記憶をする「短期記憶」
・1年以上とか一生とか長い期間 記憶をする「長期記憶」
が存在します。
一瞬一瞬の出来事は赤いとか、暗かったとかぼんやりとしたイメージくらいしか覚えていないですけど、3年以内くらいの会話内容とか、耳から入る音は一言一句覚えていることもざらにある。
仕事柄、3時間くらいお客様と話した後にその内容を記録として残していく作業をしているので、もともと持っていた長所の「長期記憶」がさらに発達した気がします。
【コンプレックスとの向き合い方について】
さて、今回の本題はその長所と短所。
そして、コンプレックスに焦点を当ててみたいと思います。
私は癖で、いつも人と会うたびに他人と自分とを見比べます。
良いも悪いも。
そういうときにだいたい起こり得るのが、この2種類 かな?
・私は他人よりも、優れている【優越感】
・私は他人よりも、劣っている【劣等感】
まあ基本的に私はじぶんに自信がないところが多くて、いわゆるコンプレックスがあります。
みなさんもありますよね。そんなの挙げればたぶんキリがないくらい。
あるある、全然ある。
たとえば、
・声が高くていわゆるアニメ声と言われること
・生まれつき一部 金髪が生えているのを白髪と言われること(金色だから!)
・一重と奥二重なので左右の目の大きさがちがうこと
あ、もうこの辺は自分のなかで消化してるので特にフォローもいらないのですよ。
それでも一定数そこを突いてくる人は居て、そういう人には「うるさい」と一蹴です。
そこで、コンプレックスについて自分と他人とを見比べているとき、この思考の過程がけっこう大切だなあと思ったり。
コンプレックスと出会う
コンプレックスに向き合う
コンプレックスが見つめてくる
コンプレックスを認める
コンプレックスと語り合う
まあ要するに、どうして自分はそれをコンプレックスだと思うのか、そこをきちんと自分なりに考えてみるのは大事かなあと思います。
他人に馬鹿にされたからその過去を引きずっているのか、他の人を見ていて自分には無いものだから欲しいなあ・羨ましいなあと思っているのかとか。
他人に馬鹿に~について一つ言うと、背が高いとか低いとか、声が高いとか低いとか、肌が白いとか黒いとか、生まれつきもった体の特徴を馬鹿にして、攻撃してくる人間はほんとどうしようもないクズだなあとは思う。
けど、よく喫茶店とかで見かける、スッピンのままなのに「はあ。彼氏欲しいな。でも私ブサイクだから彼氏できないわ~」、「〇〇はこんなに可愛いからモテるんだよ~。うらやま!」みたいな努力もしない心がブサイクなままの人はもう攻撃されてても、かける言葉もないよね。
一生そこで足踏みしていればいい。
コンプレックスは長所であり、短所だ。
コンプレックスは短所であり、長所だ。
でも本当にコンプレックスって悪いこと?
克服しないといけないことなんですかね?
気にし続けないといけないことなんですかね?
どこかが他人よりも尖っているからやっと人の目に映って、そこで初めて誰かに嫌われることもあると思う。好かれることもあると思う。
コンプレックスって悪い、もとい嫌な言葉だとついさっきまで思っていたのだけれども、コンプレックスと感じるほどに他人よりも尖っているから嫌われるかもしれないし好かれるかもしれない。
むしろこの尖りがなかったら、自分は面白みが欠けていたかもしれない。
コンプレックスが嫌だと思うからそれを補完するために努力をする姿があなたを魅力的にしているかもしれない。
あなたにとってのコンプレックスは、もしかすると他人にとっては、 隣の芝生は青く見える ようなモノかもしれない。
日々が目まぐるしく過ぎていくなか、いかがお過ごしですか。